インドネシアの戦闘民族の一つ、マドゥラ族を知っていますか?
インドネシアの中でジャワ、スンダについで人口が多い民族で、インドネシア各地にマドゥラ族は住んでいます。
インドネシアで第三位の人口ですよ?
それでも意外とみんな知らないんですよ、ジャワ人、スンダ人までは知ってる人いますがマドゥラ民族は知らない。
今回は、人口が多いけど日本人にはあまり知られていないこの民族の性格や歴史がとても面白いのでシェアします。
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目次
マドゥラ族とは
ジャワ島東部に位置するマドゥラ島を拠点とする民族で、マドゥラ語とインドネシア語を話します。
性格は、一生懸命働き、倹約家、頑固で怒りやすく暴力をふるいがちな民族といわれています。
私は何人か話したことがありますが、声がデカいなと感じのが第一印象で、確かに気性は荒いイメージですが、暴力とかそういった側面はみたことはないです。
マドゥラ島の観光資源
マドゥラ島では毎年8月、10月に牛のレースが行われます(Karapan Sapi)
決勝戦はPamekasanという土地で行われ、ガムランという楽器で演奏される音楽をBGMに開催されます。
観光客に人気のイベントみたいですよ!!
ちなみに1991年ー1998年に発行された100ルピア硬貨はこのレースがモチーフとなっています!
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マドゥラ族の仕事
主にリサイクル業を行っています。
このリサイクル業はなんとマドゥラ族の専売特許です、驚きですよね??
リサイクル品の種類は多岐に渡っていて鉄くず、ビニール、繊維、油、備品、機械などとにかくなんでもリサイクルします。
この産業はマドゥラ族の特権になっており、他の民族は手を出せません。
勿論外資企業も同様で、この国ではリサイクル業を彼らに黙って行うとすぐにコンプレインが来ます。
(多分痛い目に遭います)
マドゥラの珍しい文化
Charokという名誉の戦いがあり、強姦、盗難被害、名誉棄損などが生じたときに彼らは三日月ナイフを片手に立ち上がります。
こんないかついナイフです。
相手が死ぬまで戦いあうこともあり、国際的には人道的に問題になっていますが、彼らに言わせると”部族全体への侮辱”だと反論しているようです。
こういう問題はシビアですからね。。。
しかしこういった光景をみるともっと平和的に・・と言いたくはなる。
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インドネシアの国内移民政策
興味深いことに1990年代に政府主導で国内移民政策が行われました。
目的はジャワ、バリ島に集中した人口の分散と農地拡大です。
マドゥラ族はその政策の中心民族で、カリマンタンを中心に様々な島へ渡りました。
しかし、カリマンタンの先住民族Dadakと衝突、1,000人以上が亡くなりました。
2001年に再衝突が起き500人のマドゥラ族が虐殺、マドゥラは海軍の助けを借りて島を逃げ出し故郷の島へ帰りました。
しかし逃げ遅れたマドゥラ族はダヤック族によって首を狩られたようです・・。
というのも当時ダヤック族は首を集めると自分が強くなるという黒魔術を信じていたようで、戦利品をぶら下げていたようです。
(恐ろしや・・)
インドネシアの隠れた歴史
移民政策では農業を広げるために政府が空いてると思われる土地を勝手に移民者に割り当てました。
マドゥラ島は乾燥しており、農業には不向き、産業も塩田などしかなかったので、移民政策は追い風だったようです。
(逆に言うと他に食べていく方法がなかったともいえますが)
政府から旅費も出たので多くの国民が前向きにこの国内移民政策に参加しましたが、その割り当てられた土地はダヤック族の伝統的な土地だったのです(ガーン)
当時はスハルト政権で恐怖政治、争いは起きても軍事力で制圧されていたので争いは拡大しませんでした。
しかし1998年のアジア危機を機に政府は力を弱め、争いを止められなくなりました。
そして当時林業などで儲けていた財閥系企業はマドゥラ族を雇い、マドゥラは多くの職を手に入れました。
この時ダヤック族からみるとマドゥラ自身が自分たちの土地を活用して儲けているように見えたわけです。
これも争いの原因、財閥側はこの争いを見越して戦闘民族のマドゥラ族を雇ったともいわれており、矢面に立たされた悲しい民族がマドゥラということです。
今はもうカリマンタン島にマドゥラ族はいないとされてますが、今度カリマンタン島の開発が進むと同じような事件が起きるのではないか?
と心配になるのは自分だけではないはず。
こういったことを知ると、自分たちの常識では測れないことが世の中に多いと悟りますね。